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「勝間和代vsひろゆき」討論はとても大切なことを世に問うている

非常に興味深いトピック


重い政治課題が山積のまま突入したゴールデンウイークだったが、ビジネス関連では休業中の会社も多く、IT関連の情報も動いているのは海外関連ばかり、と思っていたら、何とも興味深いトピックが飛び込んで来た。勝間和代氏とにしむらひろゆき氏(言わずと知れた2ちゃんねるの創始者)の対談である。 5月2日にテレビ東京系列のBS放送「デキビジ」で放送されたようだ。ほぼ全編Youtubeに残っているので一渡り視聴することができる。

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にしむらひろゆき氏の勝ちと言わざるをえない


すでに続々とブログ記事も書かれているようだし、Twitterでの議論もまだ続いている。これからどのような議論に発展して行くのか予想もつかない展開だ。そのような中、場合によっては火中の栗を拾うようなことにもなりかねないが、この対談、私自身普段から考え続けていることの核心部分に触れた内容で、いたく思考を活性化してくれる。そういう意味で、世間の注目があたって話題がホットなうちに率直に自分の見解を公にして、できればそれに対する皆さんの意見も聞いてみたいという誘惑にかられた。初めに断っておくが、私は『アンチ勝間』でも『アンチひろゆき』でもない。逆にどちらかに偏った思い入れがあるわけでもない。お二人とも形は違えど、いわゆる『セルフ・ブランディング』という点では日本を代表する存在でもあり、強い『オーラ』には日頃から眩しいものを感じている。先入観があるとしてもその程度である。


事前にほとんどTwitterやブログ等の情報も読まず、できるだけバイアスがかからない状態のまま対談を見終わった時の私の率直な感想は、『にしむら氏の圧勝』だった。そしてこの番組は今後勝間氏がバッシングされる絶好のネタになるのではないかなと思った。そして、Twitter等の皆の発言を追うと案の定だ。いや、私の予想を超えて勝間氏を非難する人が多い。勝間氏は早々に自分のブログでその対談についての記事を公開しているが*1、内容に事実誤認があるとの指摘を受けたりしたこともあり、書き込まれたコメントを見てもほとんどが非難の嵐だ。数はともかく内容的には『炎上』と言っていいレベルである。


勝間氏に非難が多い原因の一つは、多少強引とも見える議論の進め方だろう。自分が絶対に正しいという自信がにじみ出ているから、にしむら氏を見下しているような印象にもなり、また議論がかみ合わないことに苛立ちを隠さず、終いには『だめだこりゃ』と議論を投げ出すような発言まで飛び出しては、そもそもにしむら氏のファンも多いTwitterユーザーから見れば不遜と言われても仕方がなかろう。議論の内容以前に、この雰囲気を敏感に感じて反発する人が大変多い。内容自体に対するできるだけ率直な意見を拾うのが難しいくらいだ。



議論の推移


当初勝間氏が用意した争点は、インターネットの『ネット匿名性と誹謗中傷』に関するもので、誹謗中傷をなくすために実名制とし、プロバイダーの責任を重くすべきという立場でにしむら氏を論破すべく論争を挑むが、しょっぱなから議論がかみ合わず、勝間氏はもっと自身が自明の理と考えていると思われる論点に議論をシフトする。その議論の前提となる勝間氏の仮説は非常に雑駁に言えば次のようなものであろうことが対談から推測される。


『日本は衰えたりとはいえそこそこ豊で社会インフラはしっかりしているのに、幸福度調査国際比較で見ると幸福度はOECDの中では最低レベルであること。それは、日本は起業が難しい環境になってしまっており(実際に起業も少なく)若者が閉塞感を感じるような環境にあることが主要な原因で、まして昨今では収入が減っていることも大きい。』


日本は幸福度ランクが低いことと(World Value Survey の調査結果等が著名) *2若年層の起業が少ないこと(Global Entrepreneurship Monitor 2009 Report等が著名)は確かに客観的な事実で、それ自体は間違ってはいない。日本が米国等と比較して起業がなかなか出来ない環境であることも、若年層の閉塞感が強いことも、幾つかの統計から確認されつつある『事実』だと思う。その閉塞感が強い状況が幸福度が低い主要な理由であるというのも(私は必ずしもそうは思わないが)一面の事実だと思うし、個人的な意見としてならさほどおかしくはない。どうやら勝間氏は、2ちゃんねるを立ち上げた起業家でもあるにしむら氏なら、当然同じような意見を持つと考えたふしがある。だが、にしむら氏は乗ってこない。あせった勝間氏は、『若者が起業ができない日本の環境はおかしい/若者はもっと起業すべきだ』、というのはさすがに自明だろうとして、何とか同意を得て、接点をつくろうとするが、これにもにしむら氏はまったく乗ってこない。終いには、日本は幸福度が低いというのは客観的なデータも示しているのだからせめてそれくらい同意できるだろうと迫る。だが、この点に至っても、にしむら氏は統計データがどうかは知らないが、自分は水も安全もある日本は国際的に見ても比較的幸福だと思うと真剣に反論する。


どうやらこのあたりから、勝間氏は本当にお手上げと感じたようだ。そして、ビジネスパーソンとしての常識に欠ける未成熟な変わり者』とでも思ったのだろうか、明らかににしむら氏を見下したような表情になる。客観的なデータ、主要な仮説くらい自明とする立場から議論をしないのは、ルール違反と感じたのかもしれない。この点、結構長い時間ビジネスパーソンとして経験を重ねて来た私も、勝間氏の持つと思われる常識感、ルール意識というのはわからないでもない。そういう意味では、多少なりとも勝間氏に同情の気持ちもないではない。


だが、やはりこれでは勝間氏に非難が集中するのは無理もないとあらためて感じた。そして、それには自分也に明文化できる理由がある。皆が感じていることと同じかどうかはわからないが(かなり論点がちがうような気もするが)、Twitterやブログで表明される数々の意見の背後には、それに気づいているかどうかは別として、私の感じているところと共通する部分が多分にあるように思える。



経済成長=幸福なのか?


この点をあまり安易に論じると、私も『経済成長不要論』なのか? との疑いを持たれかねないが、そうではない。私も継続的かつ安定的なマクロ的経済成長を社会のインフラとして維持することは必要だと考えている。だが、少なくとも『経済成長=幸福度』というような単純な構図には無理があると思う。勝間氏とにしむら氏の今回の議論だけでは、勝間氏が経済成長=幸福度アップと考えているとまでは言い切れないとは思うが、『収入アップなくして幸福なし』というようなニュアンスの発言もあり、若者の閉塞感を起業/ビジネスにすぐに結びつけるような発想から見ても、あるいは普段の他の場での発言を拝見しても、幸福度に経済的な要素は不可欠との認識を常識として持っている人であることは確かだろう。だが、これは本当に自明で一般的な真理だろうか。


例えば、今の若年層は、経済が成長するためと言っても、苛烈なマネーゲームや出世争いを肯定しない人が多くなっているし、高度成長期のようなモーレツサラリーマン的な仕事優先の発想もあまりないどころか、しばし軽蔑の対象だったりする。我々が若い頃は、経済成長は礼賛されていたから、多少荒っぽい手段を使ってでもビジネスで成功することを礼賛する風潮もあった。だが、その風向きは完全に変わったというのが昨今の常識に近いのではないか。それに、以前私のブログでも述べた通り、幸福度と国際競争力やGDPとは必ずしもリンクしないように見える。中には、内田樹氏のように、金銭が社会の唯一の価値軸となっている日本の現状こそ問題と主張する人もいる。ここでは、『どちらが正しいか』という論争をする気はない。ただ、『経済成長=幸福』という仮説がそれほど自明でも一般的でもないことは指摘しておきたい。

国際競争力やGDPより『幸福度』を上げることを考えるべきだと思う - 風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る
内田樹氏の作品を読み込むことで『幸福度』問題を再び考えてみる - 風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る



客観データは万能なのか?


私自身は、幸福度調査で日本人の幸福度があまり高く見えないことには非常に本質的な問題があると考えている。だが、その理由を探ることは簡単ではない。だから、あまり安易な仮説を構築できないでいる。しかも、調査というのは、誰にとっても明らかで比較可能なデータを入手するために、人間の無数の経験や感じ方、気持ち等の中から計量可能で客観的なものだけを狭く限定して選び取る性格を持つ。そういう意味で本来非常に荒っぽい作業である。このきめの粗いたもあみで掬い取るには、幸福度というような抽象度の高い感情はあまりにデリケートだ。実際、漏れてしまった事実は多いだろう。私に言わせれば、洗練された純度の高い個人の感性で感じ取るのでなければ、実際に起きている心理的事実を把握することなど到底できたものではないと思う。しかも、同じ言葉で言い表した気持ちとて、個々には相当な開きがある。


幸福度調査の事を聞かれて、にしむら氏はあくまで『自分がどう感じるか』ということを重視する姿勢を見せた。実のところ、これこそ、心理的な事実を把握し理解するためには一番大事なアプローチだと思う。統計データをどうこねくり回しても、非常に微妙で繊細な事実を認識し理解することなどできない。まして、事業を本当に成功させるために市場の声を聞く実業家にとっては、このような直覚的な事実を把握できる能力こそ重要だ。今回、にしむら氏に、成功する実業家の本質を見た思いがした。特に、今日のように常識も権威も崩壊しつつある時代には、このような常に謙虚で、感度を澄ましているような姿勢は決定的に重要と言っても過言ではない。もちろん客観的であることにはそれなりに重要な意味がある。特に、沢山の人の同意を取って、出資を仰ぐような必要があれば、客観的なわかり易さは必然である。だが、直観や感性が非常に重要になってきていることを理解できないようでは、にしむら氏のようなタイプの人物を理解するのは不可能だし、起業を成功させるのも難しいのではないか。



『正しさ』を主張する人だけがいつでも正しいのか?


これも非常に微妙なニュアンスなのだが、『正義』や『正しさ』をたてて人を論難したり主義を通そうとする姿勢そのものに潜む欺瞞をこの対談はひどく意識させてくれる。このことは、吉本隆明氏が親鸞上人について語る時に繰り返し出てくる観点でもあるのだが、『正義』を自分の内に持って自らを正そうとするのはよいが、これを外に出して、他人や世間に押し付け、人を裁くようになると、どうにも怪しさと危うさが漂うようになることが多い。そもそも絶対の正義などというものはこの世には存在しないし、正義があるとしてもそれは常に相対的で、状況に応じて変化するものだろう。古今、どんな戦争でも『正義』が唱えられる。戦争というのはいつも『正義』と『正義』のぶつかり合いだ。吉本氏がしばし例にひくのは、禁煙/嫌煙だ。煙草が体に良くないから禁煙しようと個人が考えるのはいい。だが、これを権利として『嫌煙権』を他人に強要しようとすると、どこか窮屈でいたたまれなくなることを感じたことはないだろうか。これが悪いことと断じるつもりは毛頭ないが、どこか全面的には納得できない微妙な欺瞞があることも少なくない。(相手を折伏して満足感を得たい等。もちろんこれは、心から相手を思いやる等、動機と進め方次第で心から納得できるようにもなる。)まして、昨今の日本は、安心/安全の旗頭の下に、徹底的に正義を押しつけ合い、社会全体が非常に窮屈になっている。私などこれこそ幸福度を下げる重要な要因の一つなのではないかとさえ思うどんな細かいことでも始終『善』や『正義』でお互いを責め合う社会に私は住みたいとは思わない。


通常、マスコミに出るような人は、ほとんどの場合『正義』と『正義』をぶつけ合っているため、このような感情を抱くことは稀だが、にしむら氏のような人が出てくると、時に非常に鮮明にこれを意識させられる。私は彼が『正義』や『正しさ』を人に強要するのを見たことがない。むしろ『悪人』然としている。(まさに『悪人正機説』的?)だが、とても心穏やかでいられる。そして、『本当に大事なことを話すに足る人』、という気がする。



勝間バッシングが目的ではない


少々勝間氏に辛口になり過ぎたかもしれない。私は勝間氏の持つ自分で自分の道を切り開こうとするバイタリティはたいしたものだと思うし敬意を感じることもある。だが、勝間氏が代表するように思われる『ビジネス常識』の持つ問題は今の日本が深みにはまって身動きできなくなっているわりには非常に気づきにくく、問題としても取り上げられにくい大問題だと私には思える。結果的には日本の経済的な衰退にも繋がっていると思う。このような機会でもなければ、私のようなものが主張してもなおざりにされてしまうことも少なくない。そういう意味では、このようなキツい役割を演じていただいた勝間氏にも感謝しつつ、このブログを読んでいただいた皆さんのご意見も是非伺いたいものだ。


<ご参考>
ななしのいいたい放題 : カツマー×ひろゆき 2
勝間和代vsひろゆき雑感 - FutureInsight.info
【ネットの匿名性】 勝間 vs ひろゆき、について思うこと。:ASSIOMA:オルタナティブ・ブログ
勝間和代ブログ「2chはIPの開示に積極的であるというひろゆきさんの注目発言について」を高木浩光氏が検証したまとめ - Togetterまとめ
勝間vsひろゆき後の起業論まとめ - Togetterまとめ
勝間 × ひろゆき 対談に見るYoutubeダダ漏れの限界。 - Togetterまとめ