その不況対策が会社を再起不能に追い込むことを理解しているか


長引く不況と不況対策


最近、リーマンショック後の底なしの不況にも、わずかながら反転の兆しが見られるというような記事を目にするようになった。これは各企業の投資抑制、徹底したコスト削減等により、短期的な調整が進んで来たことも一因と思われる。だが、これで日本の景気の先行きを楽観する人はさすがにそうはいないだろうし、いるとすれば、余程の経済音痴と誹られてもしかたがあるまい。現在の日本経済は根幹の部分に構造的腐食が進んできており、多少の短期的な上下動があったとしても、今のままでは中期的には相当厳しい状況が続くことになるだろう。大抵の企業は今も続けているであろう、徹底的な投資抑制/コストカットを続けざるをえないと考えられる。こうして激しい環境をしのぎ、生き残り、あわよくば景気の反転を待とうということになる。



致命傷に至る不況対策に無自覚な経営者


だが、大半の製造業、特に消費者向け商品を製造販売する会社が思惑通り生き残り復活することはまず望み薄だ。大変皮肉な事に、『短期的』と言い訳をしながら取組むコストカット、投資抑制をベースとした施策が、取り返しのつかない奈落に続いていることに無自覚な経営者が多いからだ。もちろん、一口に製造業と行っても、商品の種類も千差万別で、程度の差が非常に大きいことは確かだが、その方向=ベクトルにはさほど大きな違いはなくなっており、早い遅いの違いはあれ、早晩この不況対策が自らの死期を早めたことを知ることになるだろう



儲かることだけやれ


需要が落ち込み、デフレ化が進めば、どの企業でも慢性的なキャッシュ不足に悩まされる。だが、企業、特に製造業が未来に向かって生延びて行くためには、いわゆる継続的イノベーション生成が企業の成長エンジンとして織り込まれている事が不可欠だ。だから、どんなにキャッシュ不足に悩まされようとも、企業は何がしかの投資は続けざるをえない。問題は、この投資の決定メカニズムだ。キャッシュが不足して、投資単位当たりの収益を最大にしたい、とすれば投資案件は絞り込まれる。確実に収益が上がると合理的に判断できる案件を優先することになる。つまり、投資案件のうち、自明性の高いもの、合理性に勝るものが優先的に選択されて行く。これが単細胞の経営者にかかると、『儲ることだけやれ』という号令になる。


一見、特に問題ない当然の判断に見えるかもしれない。だが、もし何の疑いもなくそう思えるなら、あなたはもう少し市場で起きている現実を勉強するまで経営者をやることは控えたほうがいい。それはどういうことだろうか。



価値がわかり易い商品しか取り扱えない


上記のような単純な思考で、『儲かることだけやれ』と号令をかける経営幹部しかいない会社では、当然、部下は自らの企画を通すために『現段階で市場で儲かっているもの』を対象に、儲かることがわかり易い要素に焦点をあてるような活動を始めるだろう。少しでもわかりにくければ、会社の中の競争にも勝ち残れないのだから、目先のきいた社員ほどそうするはずだ。市場には、消費者が求める価値が非常にわかり易い商品というのが存在する。例えば、初期の頃の携帯電話やデジラルカメラなどその典型だろう。(初期にはデジタルカメラは画素数が少ないものより多いものが明らかに求められていた。)消費者に調査をかけて聞けば、その要望を明快に聞く事ができる。需要予測もかなり正確に行う事が可能だ。そして、その消費者の要望を把握して、社内の技術者に伝えることも簡単だ。きちんと数字が積み上がっていくから、社内の説得も容易だ。経営者も確信を持って判断するだろう。


一方、市場の商品やサービスの中には、消費者が求める価値が一見してわかりにくいもの(ないし要素)がある。Webサービスmixiやモバゲー等)、広告商品などがそうだ。製品(商品)ではiPhoneなども該当する。要素としては自動車のデザイン等もそうだろう。こういう商品・サービス(要素)の価値は必ずしも自明ではない。提供者の予想を超えた価値を消費者が後で見つけてブレークすることも多い。(事前にはわからないことが多い。)市場を知らない経営幹部に定量的かつ明示的に説明してコンセンサスを取ることは非常に難しい。仮にその商品・サービスがブレークして大きな収益をもたらしても、厳密に定義された仮説とは何も関係ないところでブレークすることも多く、企画者は評価を受けないことも少なくない。だから、こういう商品・サービスは当然敬遠されることになる。同じ商品でも、こういう要素を強調することは、企画者としてメリットがない、ということになる。すなわち、『儲かることだけやれ』という号令は、商品や商品要素、ひいてはそれを行う組織や組織運営まで根こそぎ『価値が自明な商品・サービス』への大転換を強いることになる。



まさにジレンマ/悪循環


だが、そもそも日本の製造業はガラパゴスと言われるように、技術的には優秀で商品の技術スペックを上げて行く競争は大の得意でありながら、市場では負け続けているのではなかったのか。技術スペックとしては優るソニーのウオークマンがiPhoneには太刀打ちできなくなっている理由にこそ、日本の製造業が克服すべき課題があるとさんざん言われて来たはずではないのか。高い技術スペックは過当競争の末に、付加価値は下落/デフレ化して行き、いくら心血を注いでも消費者はそれにお金を払ってくれなくなっている。すなわち、自明性の高い商品/サービス群から、iPhoneのタイプの商品/サービスにプロフィット・ゾーンが急速にシフトしている。まさに皮肉な事に、『儲かることだけやれ』という号令の下に、プロフィットが急速に去っている市場や商品にあえて活動を絞り込もうとしている。



リーマンショックがなくても・・


この当たりにくると、繰り替えし書いて来た内容にまた言及することになるので、自分自身も少々辟易だが、話をつなぐために、カリスマエンジニアの中島聡氏のブログから引用してみる。

カタログスペック重視のもの作りは、確かに社内の稟議を通しやすいし、作る過程でも目標設定が簡単だ。量販店で横並びにされた時にも他社の製品に負けない。しかし、これがそろそろ通じなくなっていることは、日本のどのメーカーもひしひしと感じているはずだ。
 確かに「ユーザー・エクスペリエンス(おもてなし)」とか「ライフスタイルへのインパクト」重視のもの作りは、定量化ができなし、大失敗の可能性もあるので、「出る杭は打たれる」型の日本の会社では難しいのかも知れないが、そろそろ意識を切り替えないと手遅れになる。「ユーザーにどんな体験をしてほしいか」をまず第一に考え、カタログスペックにこだわらずに魂のこもった商品作りをする。Life is beautiful: 私からの提案:おかえりなさいテレビ

今本当に必要なのは文化的属性の訴求


カタログスペック重視のもの作りからの脱却を目標にしていながら、不況によるキャッシュレスを言い訳に、またもとの木阿弥になっているわけだ。いや、もっと始末が悪いかもしれない。投資の切り詰めだけではなく、コスト削減を言い訳に、従業員の時間管理を強化して、定量化できる目標に関連する仕事以外の仕事をさせないようにする。あるいは、不動産コストの高い都心から文化や異業種交流のチャンスから切り離された殺風景な地方都市に本拠を移して目前の仕事の能率向上だけを強いるようなことをする会社も少なくない。こういうことは、カタログスペック重視には役立っても、『ユーザー・エクスペリアンス』『ライフスタイル』を理解することから従業員をますます遠ざけることになる。モノの性能/機能/効能から、社会や時代のコンセプトを解読して文化的属性を訴求する方向にシフトして行かなければ生残れないのに、理解が進むどころか正反対の方向に向かって従業員を鞭打っている。



無印良品の事例


このことを理解するのにいい例がある。『無印良品*1だ。ノーブランド・高い品質を端的に表現する無印良品は、『わけあって安い』と宣言して、西友プライベートブランドとして始まったが、今では『シンプルな生活スタイル=シンプルライフ』のコンセプト提案に成功して、根強い人気がある。無印良品の店頭に並ぶ一つ一つの商品(鉛筆、石けん、日用品等)は所謂生活雑貨で典型的なコモディティだ。値段も安い。バラバラにそれぞれの商品売り場で売られたら、他の商品との比較で、ユーザーに選択してもらえるかどうかかなり疑わしい。ところが、それが一カ所に集められ、無印良品』のブランドの下に統合されると、消費者は『シンプルな生活スタイル=シンプルライフ』を強烈に意識し、一つ一つの商品がそのシンプルライフを喚起する魔法のアイテムと化す。


言うまでもなく、ここで重要なことはこのコンセプトを訴求することであり、個々の商品のスペック競争をすることではない。鉛筆のスペックをいくら良くしてもそれだけでは『無印良品』のコンセプトの価値を上げる事にはならない。一番重要なのは、ライフスタイルを理解し、その価値を提供し、消費者と不断に対話を続けることで、コンセプトを創造し、進化させていくことだ。当然、生活、文化、ライフスタイルそのものに繋がることをすべて知る努力が不可欠になる。そして、その結果として具体的な商品がその文化コードの中にどのように位置づけられるか理解できるようになり、はじめて商品の具体的なスペックを決めることができるようになる。単なるカタログスペック重視とは根本的な違いがあることがご理解いただけるだろうか。



一人でも多く


いくら私がブログで強調しても、悲惨な型にハマってしまった会社が簡単に転換できるとは考えにくいが、たまたまこのブログを読んでいただいた方の中から、一人でも多く、この悲惨なスパイラルが起きている実態を理解して、自社の改革に取組む人が出てくれば、私としては望外の幸せだ。それに、この後段の文化や芸術価値の訴求が必要な商品やサービスへの取組みをどのように不況にあえぐ個々の企業が取組んで行けばいいのかという命題こそ、これから徹底的な探求が必要な課題である。引き続き、私自身、研鑽して、また書いて行こうと思う。