キムタクの『職業ものシリーズ』ドラマから見える現代の職業観

キムタク主演のドラマ『CHANGE』


木村拓哉が総理大臣を演じるフジテレビ系ドラマ『CHANGE』は、同時期に放映された、仲間由紀恵主演の『ごくせん』に当初視聴率でリードされながらも、20分以上にもおよぶ長回し1カット撮影という異例のスピーチシーンを目玉にした最終回は、『ごくせん』(初回)の26.4%を抜いて最高値を記録し、最終的には面目を保ったようだ。キムタクが総理を演じるという話題性もあって、放映開始前から様々な話題を振りまいた番組ではあった。


キムタクが総理を演じるという話を聞いたとき、去来した想いは、この人が本当に様々な職業を演じて来ている事だった。ドラマを制作する側の意図はもちろんだが、こういう役割を演じるのがどういう俳優なのか、ということが、時代の特徴を把握する鍵になるのかも、というようなことを漠然と考えていた。



速水健朗氏の分析


ちょうど、そこに、『自分探しが止まらない』『ケータイ小説的』等の著作を持つ速水健朗氏が自らのブログで、このキムタクのドラマの職業のことを、トム・クルーズとの対比で取り上げておられるのを見つけて、非常に興味深かった。速水氏は、世上の評価はあまり詳しく知らないが、少なくとも私は、分析の切り口が斬新であるだけでなく、その分析タームの一つ一つが綿密な調査と考察に裏付けられており、大変優れた時代の語り部の一人だと思って注目してきた。ブログもいつも興味深く拝見しているが、今回のキムタクのエントリーも私自身の感じ方と近く、一層の親近感を感じたものだ。


キムタク主演のドラマは、彼がカリスマ美容師、検事、パイロット、カーレーサーといった具合に、ある種の職業を演じる、職業ものシリーズという見方ができる。そして、こういった一連のドラマの存在が、その時代の職業観に影響を与えている部分もあるのだろう。【A面】犬にかぶらせろ!: トム・クルーズ映画から学ぶ中二病患者のハローワーク


キムタクのドラマに見られる二つの個性


時代の職業観に影響を与えているのはもちろん、時代が彼にその職業をやらせたがっているというという見方もあるのだろう。その相乗効果で、その時代を代表する職業なり、職業観がつくられて行く。だが、今回の総理大臣はどうだろう。視聴率がそこそこ高かったという事実を持って、総理大臣という職業、というより、政治家という職業と言ってもいいと思うが、何かが、あるいは誰かが影響を受けたのかと言えば、どうもそんな風には感じられない。


キムタクという人を一俳優としてみると、評価も人気も二分する傾向があって、大変好きか嫌いかという二極に分かれるようだ。私自身は、と言えば、実は結構好きだったりする。彼の場合、どんなドラマのどんな主人公も『キムタク』であり、人格を演じ分けるということのない俳優だと言われる。それでも、大きく分けて、二つの特徴的な個性が見られる。一つは、ポピュリズム的価値観に全く背を向けた、孤独で意思と自尊心が強いタイプ。家具一つない殺風景で暗い部屋に一人目だけをキラキラさせてうずくまる、『あしたのジョー』を想起させるイメージ。もう一つは、今回の総理大臣で演じられたように、まじめで口べた、やや弱々しいイメージだ



輝くキムタクとくすむキムタク


世の価値観や常識を受け入れることには、全く興味がないが、かといってその価値観や常識を持つ人を責めたり、世の中を変えようという意欲をもったり、まして、そのために人とつるんだりということに全く興味を持たない。誰も何も変えるようなことには興味がない。ただどんなことがあっても、何を言われても自分流を変えることはない。たんたんと変えない。


だが、周囲の人は、彼にあきれながらも、彼を鏡として映る自分の姿を目にして、いつしか変わって行く。そして、ドラマを見る人は、彼に演られた職業を、従来の価値観から離れ、見直すことになる。時には、新たな価値を見つけることもある。前者の個性は、このような、職業の常識や価値観を脱構築して見せる力を持っているように思える。そんなキムタクを私はずっと好感を持って見て来た。


ところが、時に、後者の弱々しいキムタクが出てしまうケースがある。ドラマは主人公の設定だけで視聴率が決まるわけではないから、単純に視聴率の高低でははかりにくいが、少なくとも職業を演じるシリーズとしては、ドラマの制作側の問題、選択する職業のミスマッチ、制作側の職業観の違和感等、何かの歯車がかみ合っていないように思われる。『CHANGE』の総理大臣にも、正直なところそのようなおさまりの悪さを感じてしまう。(ただ、ドラマとしてはそこそこ楽しめた。深津絵里などいい味が出ていた。)



社会的な上昇志向を志す時代遅れの職業観


そこのところについて、速水氏の見解は、私の違和感をとてもうまく説明して頂いているようだ。

こういった転向を見ると、ハリウッド映画でもかつての単純な成り上がりが受けなくなってきているのかな、などと思う。しかし、キムタクのドラマは相変わらず、いまだ上昇志向の枠から抜けてない。そこには日本のドラマ業界の感覚の古さを感じる。社会起業家志向だったり、企業よりも NPOがいいよねというベクトルだったり、自分探しボラバイトな志向だったりと、上昇志向的、杉村太郎的な社会的な上昇移動を志す職業観が流行遅れであることにもう少し自覚的であってもいい。【A面】犬にかぶらせろ!: トム・クルーズ映画から学ぶ中二病患者のハローワーク

社会的な上昇志向を志す職業観が受けなくなって来ている事、流行遅れであること、これを感じ取る感性なくしては、若年層の分析はまったくおぼつかないと思う。そういう意味で、私はさすが速水氏だと思った。だが、ここのところが理解できないいわゆる大人は多いだろう。まだ大きなキャズム*1がある。



他人価値志向から自分価値志向への転換


若者が社会的な上昇志向を志す前提には、社会で共通して承認された価値の存在、その他人の評価を生きることを重視するありかた、社会改革の理想と情熱、というような装置の存在が不可欠だ。だが、これこそ、90年代以降の日本社会からまさに消えて行ったものであり、他人の評価を当てにできなくなった若者は、自分探しをせざるを得なくなった。このことがわかっている人なら、今の時代に、キムタクに総理大臣を演じさせようというようなリスクは怖くて取れないのではないか。


私には、強い個性の方のキムタクは、この他人価値を生きることからはとっくに抜け出ていたと思える。だから、時代が彼に脱構築をさせたがっていた職業と職業観があって、それがある程度成功していたからこそ、キムタクの職業もののドラマを見たいという潜在願望が市場に存在したということではないだろうか。